ところ変われば備えも変わる あなたの街と自然災害
- 期間:平成30年3月3日(土)~5月27日(日)
- 場所:千葉県立中央博物館
千葉市市街地の地形や成り立ちがわかる記録。千葉市の地盤の様子がわかりますので、千葉市のハザードマップ揺れやすさが表現されていますが、市街地のほとんどが揺れやすい理由がわかります。
目次
関東平野の地形
関東平野の基盤構造模型です。
- 固い基盤岩が3,000m以上の深い凹みとなっている
- 凹みを堆積層が埋めている
- 堆積層は、軟弱地盤である沖積層の場所もある
①古東京湾時代(13~12万年前頃)
浅い海(古東京湾)に地層が堆積。暖かい時代で、海面が上がり、関東平野には東に開いた浅い海が広がっていました。
②氷期の時代(約2万年前頃)
寒くなると海面が下がり、海底が陸になる。関東平野はほとんど陸地となり(東京湾も)深い谷が掘られました。火山活動も活発で、火山灰が降り積もり、台地となりました。
③縄文海進の時代(約7千年前頃)
再び暖かくなって海面が上がり、谷の奥まで海が入り込む。氷期に形成された深い谷は海面下に埋もれ(埋没谷)、新しい地層(沖積層)が堆積していきます。
④③の時代より少し後の千葉市付近
千葉市中心部は湾になり、その後低地が形成。縄文海進以降、やや海面が下がり、河川が運ぶ土砂も堆積して、低地が形成されました。その下には、沖積層が厚く堆積した深い谷が隠れているところもありあます。
千葉市の地形
明治10年東金街道の時代
昭和40年代の農林水産省畜産試験場となっていた時代
平成7年頃 青葉の森公園が作られた時
画像右側が矢作トンネル側で、左側が京成千葉寺駅方面ですね。
千葉寺駅から北にまっすぐ延びる道路は、もとは谷津だった。とあります。
関東地震の震度分布図
地震による揺れやすさ
500年前頃の江戸の地形
写真中央部に「丸の内谷」と記載があります。皇居東側の南北方向は、谷になっているんですね。
埋没谷地形
低地・埋立地(東京湾岸地域)
都川流域の現在の地形