東京国立博物館の特別展「茶の湯」の混雑状況リポートと見どころを紹介!

東京国立博物館の特別展「茶の湯」の混雑状況と見どころを紹介します。
開催期間も残りわずか。混雑必至です。

東京国立博物館「茶の湯」の混雑状況

特別展「茶の湯」に行ってきました。

出かけたのはゴールデンウィークだったので9時30分開館の30分くらい前に着くように行きました。それでもすでに並んでいる人たちがいて、チケットを持っている人の列とチケットを持っていなくてチケット売り場で買うのを待つ列に分かれていました。

チケットは事前購入かオンラインで

チケット売り場も9時30分からしか販売されないので、できれば事前にチケットを購入しておくか、公式オンラインでチケットを購入しておくかしたほうがよさそうです。もしくは上野駅にもあります。

そうしないと、9時30分の開館時間にやっとチケット売り場があくのでまずチケットを購入するために並んで、そのあと入場するためにまた並び直さないといけなくなります。

展覧会も6月4日までなので、会期終了が近づくほど美術館は混むことが多いので要注意ですね。
ここ何日かは東京は気温も高く、外で並ぶのも最小限にしたいものです。

「茶の湯」の見どころ

「茶の湯」をテーマに名品が一堂に会する展覧会は、昭和55年(1980)に東京国立博物館で開催された「茶の美術」以来、37年ぶりなんだそうです。

茶の湯に詳しくなくても、足利義政、織田信長、千利休、松平不昧など名だたる武将や茶人に愛された名碗がそろうとなれば見てみたくなります。歴史を動かした人物たちが手にした国宝級の名碗。

足利将軍家の茶湯

まずは足利将軍家の茶湯からです。中国の宋からもたらされた点茶(抹茶)という新しい喫茶法が、日本の禅宗寺院や武家のあいだで広まり、中国の美術品「唐物」を飾り、茶を喫することをステイタスとしていました。

室町時代15世紀ごろには足利将軍家には最高級の唐物が集められ、さらに分類や評価がされます。第一章はこの足利将軍家に、唐物数寄の眼で選び抜かれた第一級の名品を中心に展示されています。

15世紀末の茶湯

15世紀末になると、町衆が急速に力をつけ、連歌や能、茶、華、香などを楽しみ、究めるようになります。そんななか、珠光や珠光の死後、珠光の茶の湯のやりかたをつづけていた村田宗珠らは唐物を珍重するだけでなく、日常の道具のなかから好みに合ったものを取り合わせるようになります。

この「侘茶」の精神は竹野紹鴎ら次の世代へ広がります。第二章では、「唐物」から「高麗物」、「和物」へと胴部に対する価値観が変化する様子がわかります。

千利休が登場

侘茶を継承した千利休が登場。安土桃山時代には茶の湯は天下人から大名、町衆へと、広く深く浸透していきます。天下人、豊臣秀吉の茶頭となった利休は、珠光以来の伝統を受け継ぎ、唐物に匹敵する侘茶の道具を見い出し、さらに新たな道具を創り出し、それらを取り合わせ、茶の湯の世界に新しい風を吹き込みました。

第三章では利休の茶の湯に迫ります。そして利休の精神を継いだ茶人、古田織部や茶陶を通じて、桃山期の茶の湯の魅力が紹介されます。

江戸時代の茶の湯

太平の世といわれた江戸時代、室町時代以来の武家の茶を再興し、「きれいさび」と称された新たな茶風を確立した小堀遠州にまつわる道具を中心に、江戸時代前半の茶の湯を紹介、続いて江戸時代後期の松平不昧の茶の湯を紹介するのが第四章です。

松江藩主をつとめた不昧は形骸化していた茶の湯の古典をたどり、道具を収集、評価し、よみがえった名品が展示されています。

幕末から明治維新の茶の湯

そして幕末から明治維新の混乱期には寺院や旧家から名品が世の中に放出されてしまいます。そこで平瀬露香(平瀬亀之助)、藤田香雪(藤田伝三郎)、益田鈍翁(益田孝)、原三渓(原富太郎)ら名だたる実業家たちの伝統を重んじつつ、新しい価値観で新しい時代の茶の湯を創りあげた四人の数寄者(趣味人)をとりあげる第五章です。

ただこちらは会期を通してではなく、期間ごとにテーマとする近代数寄者が替わります。5月23日から最終日6月4日までは原三渓です。

お茶を点てて飲むという日常的な行為を総合芸術と呼ばれる日本固有の文化にまで高められことがなんとなくでも感じられる展覧会です。すでに茶を嗜んでいる人はもちろん、この展覧会を機に茶の湯に足を踏み入れる人もいるのでしょうか^^

さいごに

この展覧会で唯一写真撮影OKなのが古田織部の茶室「燕庵」の再現展示です。再現展示の模様がタイムプラス動画が公式ホームページから見れますのでそちらも是非

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